先日の講演で、誰にでも「畏れ」があるという話をさせて頂いたので
今日は「畏れ」に付いて少しふれていきたいと思います。
誰にでも畏れ(不安、恐怖)はありますが、ザックリ分けると生まれる前からの畏れと
生まれてからの畏れに分けられると思います。
つまり過去生からのトラウマ的な恐怖と、生まれてきてからの体験で刷り込まれてきた恐怖ですね。
過去生からの畏れは根が深いですが、生まれてからの畏れは基本的に親からの刷り込みが多くあります。
私たちが育つ時に良く言われたり、言ってしまう
「〜してると◯◯になるよ」
「〜になっても知らないよ」
「〜できないと◯◯になるよ」
とかですね。
中々「大丈夫、誰がなんと言おうと何時だって私があなたを愛してるから
安心しな、自信持って、何があっても大丈夫、あなたのやりたい様に生きなさい。」
などと言って育てて貰っていません。
その結果、我々は否定されない、嫌われないを”目標、目的”に頑張ってしまう
つまり「安心」を求めてしまう訳ですが
初めから安心に包まれていれば、そこを飛ばして「喜び」を目的に頑張れたりする訳です。
これは安心を求めているのとは大違いで、何時も努力している事が喜び楽しみに包まれています。
ですから、過去生からの畏れは根が深いとしても、生まれてからの畏れくらいは何とか減らしておきたいものです。
簡単に言えば、誰でも愛に包まれてさえいれば畏れは無くなりますが、これがまた中々難しくて…
「自分はきっと愛されているはず…たぶん…」
くらいが関の山で、そうそう実感できている方がいないのが現実です。
実はみんな今現在もう既に愛されているんですが、それを実感するのが難しいみたいです。
そこで、愛されている事を知る前に、嫌われている事を知ってみましょう。
嫌われてる…?
そう、既にあっちでもこっちでも嫌われてます。
間違い無くあなたは嫌われています。
ちょっと時間がなくなりました。
次回投稿に続く…
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