ARTEMIS Blog

ドロドロハート

2015年4月10日

子供の育児などを通じて、今時の子供や若者と関わる時間をもたせていただく中で

いろいろと感じることがあります。

 

その中で僕がよく抽象的な表現でよく使うのが

「最近の子はみんないい子」です。

 

本当にいい子が多くて、いわゆる躾が行き届いている訳なんですが

ちょっといい子過ぎたりする訳なんです。

 

一言で言うと「善」なんですけど、「善」ってすなわち「悪」だったりもして、、、

 

 

この世は陰陽で成り立っていて、例えば左手に50の善を持っていたら右手に50の悪を持っていないと

バランスがとれないんです。

優しい人程怒った時に怖いとかありますよね。

 

だから、クラスの全員を好きになるなんておかしいんです。

好きな人がいたら、それなりの嫌いな人

大好きな人がいたら、大嫌いな人がいないとバランスがとれないんです。

 

でも、今の教育は「誰とでも仲良くしなさい。」なんです。

これではやはり無理があります。

食べ物でもそうですね、好き嫌いをしないのが良しとされていますが、ちょっとおかしいんです。

 

なので、うちの教育はちょっと変わってて「ちゃんと好き嫌いをもちなさい!」でした。

これは人でも食べ物でも全てにです。

好みはあっていいんです。

嫌いを誤魔化すのがいけない訳です。

 

いい子は、自分の中の「嫌い」に悪を感じて否定してしまいます。

無理に好きになろうとしたり、自分を責めてしまったりします。

 

一昔前はもう少し社会が寛容でした。

あちこちで煙草をポイ捨てする人はいたし

立ち小便もどこでも見かけました。

 

いつからでしょう、、、みんないい子になってきたのは

この頃の若者は、昔の若者より息苦しい(生き苦しい)人生を強いられているのではないでしょうか。

 

社会に寛容さに反比例して、自殺者が増えている様に感じます。

 

 

好き嫌いが必要、と気づき自分は何が好きなんだろうと、改めて考えたら本当に好きな物が分からなかった。

というのも良く聞く話です。

自分探しは誰にも共通したテーマであると思いますが、自分の中にある「嫌い」に気づくのも近道かもしれません。

 

自分の中に「善」の心がある以上、必ず「悪」の心は存在します。

その悪の部分を否定しないで欲しいのです。

いい子程、悪の部分に蓋をします。

卑猥な心に自己嫌悪を感じ、わがままを申し訳なく感じ、姑息な考えに蓋をします。

そして「自分はそんな人間ではない!」という要らぬプライドが育ってしまいます。

 

でも人間ってそんなもんなんです。

僕は子供に

誰もいない赤信号→安全確認して渡れ

エッチなことはドキドキする→当然

好きな子が何人もいる→当たり前

下心いっぱい→常識

こんな調子で教育してきました。

 

みんな心の中にあるのです。

大事なのは理性の存在です。

デート中、他所のミニスカートの女の子が気になるのは当たり前なんです。

付いて行ってはいけないだけなんです。

ここで付いて行ってはいけないと自粛させるのが理性です。

気になってチラチラ見ちゃうくらいまではいいんです!

 

今時のいい子は、気になるだけで自分を責めてしまうようです。

 

人間って「善」と同じくらい「悪」をもってるんだから、それくらい当たり前でいいんです。

自分の中の「悪」から目を逸らさない覚悟を持って欲しいのです。

「称賛」を得たいと思ったら、へっちゃらで同量の「批判」も得る覚悟と強さを持って欲しいのです。

結局どちらをチョイスするかだけなんですから。

いいところだけではなく、ドロドロの自分も好きになって下さい。

 

かく言う僕も、ずっと気取ってドライな人間に憧れていたりしました。

ですから只今ドロドロな自分肯定修行中です(^-^)

あっていいんだ。こんなところもって。。。


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