「自然」というものが持つ絶対的な愛のちから
普段は何気なく見落としてしまうことの中に、ふとその大きなちからを垣間見る時
きっと自然というものに癒されたり、エネルギーを貰ったり、学ばせてもらったりしているのだと思います。
いつもはとてつもなく大きくてリアリティがありませんが、僕が何気なく撒く種が発芽するのも自然の持つ愛のちからで
また、発芽しないのも愛のちからです。
いくらむしっても生えてくる雑草も干上がってしまう砂漠も、ただただ受け入れ続ける自然の愛なのでしょう。
自然の愛のちからを観じる時、ちっぽけな自分を感じながらも自然に癒され自分の中のどこかが潤い満たされているのが分かります。
こういう時間が僕には特に必要のようです。
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